◇記事一覧
次のページへ>>

ケニア北部の治安とバス移動

2016年1月10日
ケニア入国
気になるのがケニア北部の治安。
モヤレから南下する道は危険だということを何人かの人から聞いていたので。調べてみたら、数年前にモヤレで大規模なテロがあったらしく、危ないっていうのはそのことを言っているのかなと思った。一応今は落ち着いているらしい。

ただそれとは別に、この辺りの地域は強盗が出るという話もある。南米のペルーでも有名な強盗多発地帯があったが、長い無人地帯が続く地域では強盗も仕事をしやすいんでしょう。

モヤレ-ナイロビ間の道中の治安について、モヤレの警察に確認を取る。念のため、日と警察署を変えて、計3回同じように尋ねてみた。そしたら2人は「安全だし問題ないよ」と、そして1人は「50:50(フィフティーフィフティー)」と。アドバイスとしては「夕方以降は走らない」、「幹線道路から外れたローカル道を走らない」「人に呼び止められても、止まらず走り続ける」の3点。

3番目のアドバイスについて、「声を掛けられて止まったところを襲われる」と言うケースがあることはわかる。ただ僕は総重量50kgの自転車なんで、ハナから強盗に走られたら全然追いつかれるスピードなんですけど……、と詳しく突っ込んで聞いておきたいところだったのだが、それを伝えるだけの英語力は、僕には備わっていなかったのであった。

DSC01603_201601112313065f6.jpg
「50:50(フィフティーフィフティー)」って言ってた人も「昼間だったら大丈夫だよ」と言っていたので、多分走っても問題ないんでしょうけど、体調を崩していることもあるので、少しバスで飛ばすことにした。次の大きな町、マルサビットまで。少なくとも、もらった薬を飲み切るまで、あと5日くらいは安静にしておこうと思っているんですが、とりあえずこの何も無いモヤレの町にはいたくない。エチオピア側のモヤレだったら全然居れたんですけどね。wifi付きで100ブル(約560円)の優良ホテルがあったので。

DSC01604_201601112313074e5.jpg
そして夕方、マルサビットに着き、やっぱりモヤレに留まっておけば良かったと後悔する。これだったらモヤレのほうがまだマシだった。


1月11~12日
その後、2日を経て、なんだかんだ首都のナイロビまでバスで飛ばすことになりました。
エチオピアでクリスマスを一緒に過ごしたバックパッカーの人たちも今ナイロビにいるみたいだったので。
どのくらいいるかわからないですけど、しばらくナイロビで療養生活になります。

バスで飛ばすということ

2015年1月13日
ナイロビ
腸チフス、発疹チフスにかかったので療養のためケニア国境から首都ナイロビまでバスで飛ばしてきたところ。全く走ってないのに、すでにケニア終盤である。

南米の終盤では、バス、ヒッチハイクに頼り過ぎてやる気がなくなっていたので、アフリカではできるだけ頼りたくはなかったのだが、思いのほか頻繁に使い続けているこの状況。

もうケニアの出口近くにいるにもかかわらず、僕はまだケニアについて何も知らない。
ケニアはどんな気候なのか、昼はどのくらい気温が上がり、夜はどのくらい下がるのか、湿度はどのくらいで、どのくらい洗濯物が乾くのか、どんな人たちが生活しているのか、どんな言葉を喋るのか、どんな風に接してくるのか、どんなものを食べているのか、どんな家に住んでいるのか、どんなものがスーパーに並んでいるのか、どんなパンにモデルチェンジしたのか、卵はいくらくらいなのか、どんな植物が生えていて、どんな地形で、どんな風が吹くのか……などなど。僕はまだ何も知らない。
そして何も知らないままケニアを出ることになる。
そのことが結構悲しい。

そんなことを知るために自転車旅をしているのかと言われると、別にそういうわけではないし、特別ケニアに思い入れがあるわけでもないんですが、それでも自転車旅中は、主にそんなことを考えて過ごしているので、その部分がすっぽり抜けてしまうと、この旅が空っぽになったように感じるのです。

それだったらまた体調が戻ったあとで、バスで戻って走りなおせばいいやんって話なんですが、なんかそれも違う……というかめんどくさい。
まあそういうことなのです、バスである区間を飛ばすということは。
もうアフリカではしないで済むことを望みます。

危ないってうわさのナイロビ

2015年1月14日
DSC01619_2016011723210802d.jpg
ケニアの首都ナイロビはものすごく危険な町らしい。
全世界でも上位に食い込むレベルで危険な町らしい。
エジプトを出発して以来、治安に関してはほとんど気にせず過ごしてきた。危ないイメージしかないアフリカはこんなに安全なのかと拍子抜けだったけれど、ようやくイメージ通りのアフリカが登場。

DSC01612.jpg
しかし昼間のナイロビを歩く限りでは他の国の首都とそう変わらず。
雰囲気も明るく、出歩いている人も多い。

DSC01628_20160117232149377.jpg
夜はやっぱり危険みたいで、日没には大体の店が閉まる。
ただ人の姿はそこそこあり、夜10時、11時ごろでも女の人が一人で歩く姿が見られたりする。
結局ナイロビはどのくらい危険なんだ。

DSC01614_20160115211603b25.jpg
泊まっているホテルの近くに市場(地図)があったのが、うれしい。ちゃんと値段の表記があるのでぼったくられる心配が無いし、「○kgでいくら」ではなく、「○個でいくら」という値段の付け方なのも少ない単位で買えてうれしい。
ところどころドブ臭いのが欠点。

DSC01648_20160117232603333.jpg
あとホテルのキッチンがこの火口が1個あるだけなので、大したものは作れないのも残念。
キッチン設備が整っていたら完ぺきだったのに。

DSC01626_2016011723213762a.jpg
ここで作ったカレー。
カレー作りを研究中。
隠し味で醤油、マンゴー、ピーナッツバターが入っている。
毎回、何か味が物足りないカレーになっちゃうんですよね。

DSC01610.jpg
途上国のバスというのはだいたい派手なペイントが施されているが、ナイロビのバスはひときわ派手。

DSC01609_20160115210116416.jpg
もうバスが渋滞していたりすると、見ているだけでしんどくなってくる。
そういえばケニアでは車が日本と同じ左側通行なんですよね。
ちなみに左側通行の国はこの旅、初。
車の運転席もちゃんと右ハンドルで、やっぱり日本車が多いのかなと思って観察していると、走っている車の半分がトヨタでした。2割が日産。

大都会ナイロビを満喫 病院&ショッピングモール編

2015年1月15日~17日
DSC01625_20160117233656d90.jpg
腸チフス、発疹チフスにかかったのでナイロビで療養中。
病院でもらった1週間分の薬も飲み終わって、体調もだいぶ回復してきた。
日常生活を送る分には全く問題はないけれど、少し距離を歩いたりすると、ちょっとしんどい。
自転車で走るのはまだ厳しいかも。

DSC01631_20160117232138cd3.jpg
ナイロビ病院(24時間営業)(地図)
ちゃんとチフスの菌がいなくなっているか病院で再度、血液検査をしてもらう。
結果、ノープロブレムとのことでした。
良かった。

DSC01621_20160117232112e64.jpg
ナイロビ病院の近くのショッピングモール『ヤヤセンター』(地図)
途上国の首都では近代的なショッピングモールに行くのが楽しみ。
きれいな建物の中を歩いているだけですごい癒される。

DSC01639_2016011723233277f.jpg
モール内の高級スーパーをぶらぶらすることで、特に高い癒し効果が得られる。
物色しながら歩いているだけで幸せ。
ナイロビには日本人がたくさん住んでいるらしい。
今日は土曜日だからか、日本人の姿をちょくちょく見かける。

DSC01620_20160117232113ca4.jpg
自転車ショップが入っていた。
大したことはないけれど多少のパーツが手に入る。

DSC01640_20160117232611110.jpg
巨大都市ナイロビにはたくさんショッピングモールがあって、ここは別の『ウエストゲート』ってとこ(地図)
アイスクリームとかケーキを買い食いしながらブラブラ。
至福のひと時を楽しむ。

大都市ナイロビを満喫 日本食レストラン編

2016年1月15~17日
DSC01623_20160117232146b31.jpg
ナイロビ市内をぶらぶらしていると、その先進国レベルの高さにびっくりする。
1,2年程度なら全然住めるくらい都会。

DSC01637_201601172323201c0.jpg
『居酒屋CHEKA(チェカ)』っていう日本人が経営されている日本食レストラン(地図)へ行ってきた。

DSC01636_20160117232314329.jpg
カツ丼定食。
意外とイスラム教が強いアフリカでは豚肉はレア食材。
吐くまでトンカツを食べるのが今一番の夢。

DSC01633_20160117232326277.jpg
ランチメニュー
価格帯が日本と近いので、違和感がなさすぎる。
定食で700~800シリング(800~900円)。
定食にはプラス味噌汁、だし巻き卵、ミニサラダが付く。

DSC01634_20160117232314142.jpg
居酒屋なので、焼酎、日本酒などが揃っている。そして値段も手ごろ。
もしレストランの場所がホテルから近かったら、間違いなく毎日来る。

ナイロビ出発~悲劇まで

2016年1月18日
ナイロビ
腸チフス、発疹チフスも回復してきたので、今日から自転車旅を再開します。
事情により、写真は無しです。

ナイロビで泊まっていたニューケニアロッジを出発。
ホテルの前で写真を撮っていると、たまたま通りかかった警察官が映り込み、「カメラをチェックするから警察署に来い」とかめんどくさいこと言われる。なぜかアフリカは写真に厳しくて、例えば公共の施設、建物とかも基本的に撮影は禁止。
写真はその場で消したら許してくれて、警察署には行かずに済んだ。

ナイロビは自然が多くて、非常に先進国的でした。
今まで訪れた途上国の首都の中でも、特に印象が良い気がする。まあトラブルにも会わず、ナイロビの危険な部分を見ていないのでそう思うだけかもしれないですけど。

空には雲が多い。
今は雨期が近づいていることもあって、ナイロビ滞在中はよく雨が降っていた。
夜から明け方に振ることが多いのが救い。

前方の雨雲が雨を降らせているのをはっきりと目視できる。
前から思ってたんですけど、雨雲方向から風が吹くことが多い気がする。今は前方に雲があるから向かい風。逆に後方に雨雲があるときは追い風が多いのだが、気のせいである可能性もある。
でも台風を大きい雨雲と考えたら、やっぱり間違っていないのかな。
今日は雨を凌げるところでキャンプできればいいんやけど。

70km弱ほど走って、カジアードという町で休憩。
ガソリンスタンド併設されている店の看板が「キャンディーショップ」だった。
何かの隠語みたいだと思った。ヨーロッパの「コーヒーショップ」みたいな感じで。
しかしその実態はただのコンビニなのであった。

夕方、町などがない郊外でとうとう雨に降られる。
どうしようって思っていたら、ちょうど道路の下にテントを張れる場所を見つける。

(イメージ図)こういう感じのところ↓
DSC01904_201504230741416e6.jpg

テントを張り終える頃には雨が本降りになる。
タイミング良く雨をしのげる場所を見つけられて良かった。
手前の町で晩御飯は食べていたので、テントの中では寝る準備をして漫画を読んでくつろぐだけ。

そんでその直後に悲劇が起こるのであった。

そして起こった悲劇

2016年1月18日(夜)
ナイロビを出発した日の夕方、雨が降り出したタイミングで、運良く道路の下に雨をしのげる場所を見つける。テントを張り終える頃には、いよいよ雨が本降りになる。ちゃんと雨を凌げるところが見つかって良かった。テントに入り、クッキーを食べながらパソコンで漫画を読む幸せのひと時。

漫画の展開も佳境に差し掛かった午後7時ごろ。

突然、テントを強く押される感覚。
最初は突風かと思った。
でもそれにしてはやけに押す力が強い。

テントの外を確認しようと、ファスナーを開けた途端、大量の水がテントの中に流れ込んできた。
いやいや、意味が分からん。

その場所は川になっていたわけではないし、近くに川があるわけでもない。
川が枯れた跡地でもなくて、水が流れていた形跡は一切なかった。
それが、今テントの周りを見渡すと、完全に川になっている。
状況が全然飲み込めない。

この辺りの地形はほぼ平らで、ほとんど起伏などなかったんですが、この場所はちょっとした下り坂、上り坂に挟まれた谷になっている場所だった。そこに雨が降って,1か所に集まった水が押し寄せてきたということなのか。鉄砲水っていうやつ。

戸惑う僕をよそに瞬く間に水量は増えていき、ついにテントごと流される。「ちょっと待って、ヤバいヤバい」って思っている内に、あっという間に10mくらい流されている。ほんまヤバい、死ぬ。とりあえずテントから抜け出して、テントを岸まで引っ張ろうとするのだが、水の流れが強く、知らん間にテントから手を放していた。貴重品の入りのバッグ類と共にあっという間にはるか彼方へ。日没後で真っ暗なので、どこへ行ったかは全く見えない。

僕を追って後から流されてきた自転車はなんとか確保できた。自転車を引っ張りながら命からがら岸へ上がる。結構流されたので、道路まで戻るのが大変だった。靴も当然流されているので、裸足でトゲを踏み、あちこち擦り傷、切り傷を作りながら幹線道路へ復帰。アフリカとか乾燥地帯の植物ってなぜかトゲがあるものが多いんですよね。裸足はムリ。

辺りは街頭や町の明かりは一切無し。裸足で全身びしょびしょの状態で自転車を押しているかなり怪しい姿ではあったけれど、手を振るとトラックが止まってくれた。近くの町にある家まで帰るところだそうだ。事情を説明すると、家まで連れて行ってくれた。その夜は彼の家に泊めてもらう。親切な人に助けてもらいました。

家で火鉢に当たらせてもらい暖を取る。この時の僕の心の中を占めるのは、「これって保険で請求できんのかな」ってことでした。全部保険申請してお金が帰ってくるのならまだ頑張れる。

以下、今回の被害について。

普段、野宿をするときはテントの中に全てのバッグを持ち込むのですが、今日は人気のない場所での野宿だったので、5つ取り付けている自転車バッグの内、比較的どうでもいいものが入っている2つのバッグは自転車に付けたままににしていました。なので、そのどうでもいい2つのバッグは自転車と共に救出できました。

テントの中に入れていて一緒に流されたのをざっと書くと、財布、パスポートなどの貴重品類、保険やらなんやかんやの書類、カメラなど電子機器類、キャンプ用品、洗面用具、食料くらい。あと現金で持っていた800ドルが何気に一番痛いかもしれない。現金は保険請求できないし。

逆に助かった持ち物は、着替えの一部、救急セット、工具類など。
濡れた服から着替えることができたし、救急セットで怪我の手当てもできた。貴重なものではないけれど、このとき必要なものが上手いこと残ってくれたなと思った。

ナイロビまでUターン

2016年1月19日
貴重品を中心に、荷物の半分以上失った悪夢のような夜が明け、朝。
昨夜はトラック運転手のスティーブの家に泊めてもらっていました。
とりあえずは旅行どころではなくなったので、いったん昨日の現場まで戻り、荷物を探す。

戻ると水はほぼ引いていた。
川の跡を下流に向かって進む。
怪我だらけの裸足で。

下は岩場なのでめちゃくちゃ痛いのを堪えながら進む。
足元に集中しているので周りを見る余裕は正直ない。

痛みを堪えながら1時間半ほど探したんですが、残念ながら空振り。
ビリビリに破けたテントは途中、木の枝に絡まって、岩場に引っかかっていましたが、それ以外のものは見つからず。

砂がかなり堆積していたし、水が残っている場所も多い。
そういうところに埋まっていたらまず見つけられないし、思ったよりも捜索は困難でした。

幹線道路まで戻り、ヒッチハイクでとりあえず近くの町まで。
案の定、住民に取り囲まれるんですが、事情を説明すると、一人の男の人が周りのみんなにカンパを募ってお金を集めてくれた。少額ずつとはいえ、みんな積極的にカンパしてくれる。しかもどこからともなく誰かがぞうりを買ってきてくれた。ケニア人めっちゃ優しい。この時、初めて泣きそうになった。

集まったカンパのお金からご飯をいただき、ナイロビまでのバス代も確保できた。
残ったお金も「またナイロビでご飯でも食べ」って言って渡してくれた。
一文無しだったので、本当に助かりました。

そしてナイロビまで戻る。
昨日まで泊まっていたニューケニアロッジへ再びチェックイン。
ここでも日本人の方にご飯をご馳走になり、お金を貸していただき、たくさん助けてもらいました。
そしてここで、あるバックパッカーと珍しい再開。

学生バックパッカーの駿君とは日本出発の日、成田空港で出会ったぶりの再会。チェックインカウンターで僕の後ろに彼が並んでいたのです。成田から乗り換えのアブダビまで一緒やって、そこから僕はエジプトへ、彼はトルコへ。またルートが被りそうやから会えたら会おうって言っていたのです。辛いことがあった後ですが、この再会はとてもうれしかった。

ナイロビで帰国準備1

2016年1月20日~24日
キャンプ中の鉄砲水により荷物をロストバゲージしてしまい、ナイロビまで戻ってきたところ。
海外旅行ではありえないことなんですが、貴重品と呼べるものはほぼすべて失ったので、ホテルのドミトリーでも全く警戒せずに荷物をほったらかしにできるというちょっとした開放感を味わっている。

今後のことですが、とりあえず日本に帰ることにしました。
まだアフリカを出発して2か月半ほどなのにまた帰国というのが無念で仕方ないですけど。
できれば現地で装備品を整えたいところだけれど、ここはアフリカだしやっぱり無理がある。
無くしたものも多過ぎるし。

実はこの後、タンザニアでは日本人の方とお会いする予定があったんですが、それもキャンセルさせてもらうことになりました。その方にメールで伝えたところ、「自然には勝てないです。胸を張って一時帰国してください」という言葉をもらえたのが嬉しかった。

ナイロビで一番にしなくてはならないのは、パスポートの再発行手続き。
日本大使館で訊いたところ、再発行に必要なものは3つ。

1.戸籍抄本のコピー(データ)
日本人であることを証明するために。スキャンしたデータを日本からメールで送ってもらった。
2.パスポートの紛失届
警察でもらう。なぜか証明書を書いてくれた警官に人気のないところまで連れて行かれて、「チャイおごってくれへん」ってねだられる。いやいや、川に流されてお金から何から何まで失ったって言ってるやん。
3.パスポート用の写真
写真屋は町でよく見かけるので、簡単に撮ってもらえる。髪の毛が伸びてきていたので、床屋で坊主にしてもらってから写真撮影に挑む。

これらを日本大使館に持っていくとパスポートの再発行をしてもらえる。
2,3日程度でできるそう。今回は土日を挟んだので4日後の受け取り。

パスポート入手のメドが付いたので、航空券のチケットも購入した。
26日、パスポート受け取り日の翌日の飛行機で帰国。
本来なら念のためもっと日にちを開けるところだけれど、日本人の仕事だから信用できるし、何の心配もなく受取日の翌日に予約した。
しかし、まさかこんなに早くにアフリカを去ることになるとは。

ナイロビで帰国準備2

2016年1月25日
ナイロビ
帰国前日。
日本大使館にパスポートを取りに行く。
スタンプの押されていないまっさらなページ、そして坊主頭の僕の顔。
無くしたパスポートはこの旅行のために作ったもので、アメリカ~南米~アフリカと続く僕の旅の軌跡がスタンプやビザのシールで綴られたものだった。割と残念。

真っ白のパスポートを手にしてセンチメンタルな気分に浸っているところに、受付の方からビックリな事実が伝えられる。どうやら僕は改めてケニアビザを取らないといけないらしい。僕が国境でビザを取った記録は当然残っているはずだし、ちゃんと調べてもらったらすぐにわかることだと思うんですが、調べたりはしてくれないとのこと。途上国の人間は、金を取るための努力は惜しまないけれど、それ以外のサービスは極端にめんどくさがる傾向がある。国境でビザを取った時に、指紋や顔写真まで取ったのは何のためなんだ。

日本大使館からホテルまでの帰り道にイミグレーションがあったので、ついでにビザを取っていく。そしたらなんと、僕が国境で取ったビザの情報を調べてくれて、ビザを取らなくて済んだ。ビザ代は50ドルもするので助かった。パスポートに入国のハンコを押して一筆書いてもらい終了。やっぱりケニアは僕が通ってきた以北のアフリカ諸国とは一味違う気がする。ちゃんとまともな人が多い。

ホテルへ戻る。
結局アフリカは3か月経たず帰国することになってしまった。
何も達成せず、何も得ないままアフリカの地を去ることが実に悲しい。
せめて、カレー作りだけは成長したと胸を張って言えるように、最後にカレーを作っていく。

WIN_20160125_185459.jpg
生姜を買ったつもりが間違ってウコンを買ってしまってて、やけに黄色いカレーになった。
生姜とウコンって外見ほぼ一緒なんですね。切ったら断面は真っ黄っ黄だからびっくりした。
そして味もなんかちょっと変なかんじ。
これがウコンの味なのか?
俗に言う、ウコン味のカレーというやつ。

PageTopNext>>

 

カテゴリ

出発前 (49)
旅の計画 (3)
出発準備 (4)
持ち物 (34)
出発前 (8)
北米編 (145)
アラスカ (21)
カナダ (54)
アメリカ (70)
中米編 (167)
メキシコ (93)
ベリーズ (8)
グアテマラ (24)
エルサルバドル (6)
ホンジュラス (2)
ニカラグア (7)
コスタリカ (13)
パナマ (14)
南米編 (204)
コロンビア (37)
エクアドル (18)
ペルー (46)
ボリビア (24)
アルゼンチン (12)
チリ (38)
アルゼンチン2 (29)
一時帰国 (12)
アフリカ (182)
エジプト (18)
スーダン (14)
エチオピア (29)
ケニア (11)
一時帰国2 (6)
ケニア2 (4)
タンザニア (29)
ザンビア (18)
ボツワナ (12)
ナミビア (30)
南アフリカ (11)
ヨーロッパ (86)
北欧 (48)
ドイツ (21)
ベルギー (1)
フランス (16)
西アフリカ (94)
モロッコ (67)
モーリタニア (16)
セネガル (11)
ヨーロッパ2 (108)
ポルトガル (9)
スペイン (26)
アンドラ (2)
フランス2 (22)
スイス (9)
オーストリア (3)
イタリア (12)
スロベニア (4)
クロアチア (4)
セルビア (10)
ブルガリア (7)
中東 (8)
トルコ (8)
アジア (76)
タジキスタン (28)
キルギス (18)
カザフスタン (4)
中国1 (12)
モンゴル (14)
中国2 (0)
情報と雑談 (37)
学校見学 (9)
2010西日本一周 (33)

月別アーカイブ
カウンター

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

サポート