命を頂くうんぬんかんぬん 年越し砂漠ツアーその3(後編)

2017年1月1日続き
さばくつあー4

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お昼過ぎ、砂丘を越えて遊牧民の住む荒野に到着したところ。

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ヤギだか羊だかがいるんですが、彼らが今日の僕たちの晩御飯らしい。

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こういう場合、屠殺場に連れていかれている時点でヤギは殺されることを理解しているらしい。
人間とか自分に置き換えたら、こんな恐ろしいことってない。

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さっそく首を切られる。
ある程度大きな生き物が殺される瞬間を、ひょっとしたら初めて見たかもしれない。
とてもショッキングな光景でした。

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吊るされ、皮を剥がれる。
ショッキングな光景が続くんですが、正直、今回これを見たからといって、僕の価値観が変わるわけではないと思う。ベジタリアンに転向するわけではないし、おなか一杯になったら食べ物を残したりもするんでしょう。
ただそういう教訓めいたことよりも、僕は単純に、生き物が死んでいく様を見るのが悲しくて、辛かった。こう思うのは、生き物の死に接する機会の少ない日本人だからでしょうか。
元遊牧民の方の話では、子どものころは屠殺を見るのが辛かったけど、どっかのタイミングで吹っ切れたらしい。やっぱり日本人って日常生活から生き物の死を遠ざけるあまり、その方面の精神年齢がすごく低いんだろうなと思った。

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ヤギが手際よく捌かれていく様を見ていると、頭の中にいろんな思いや考えが浮かぶ。
こういう命を扱った問題は答えを出すのが難しいものですが、一つ気が付いたことがあって、それは僕の中の善悪の判断基準は常に「自分だったら許せるかどうか」なんだということ。

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例えば僕がこのヤギだったら、自分の肉が食卓に出されて、それを残されるのは多分許せる。なんというか、「そら残されることもあるよな」って納得できる気がする。
なのでこれを見る前と見た後で食べ残しに対する罪悪感は変わらないと思う。

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でも殺されているところを写真に撮られたり、見せ物にされるのはすごく嫌だろうなと思った。

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そんなことを言いつつ、僕も写真を撮っているんですが。

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そして、そんなことを言いつつも、やっぱり残すのは気が引けて、いつもよりも頑張ってヤギ肉のタジンを完食するのであった。でももう屠殺の現場は見たくはないし、むやみに興味本位で人に見せるものでもない気がする。
ただそれだと結局、「生き物の死」というものが日本人の生活から遠ざけられたままで、それもどうなんだろうとか、頭の中のモヤモヤがずっと残り続けた夜。

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2017年01月 07日05:28 モロッコ

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